書籍・雑誌

2022年4月 3日 (日)

モデルガンヒストリカルノート MODELGUN HISTORICAL NOTE

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3月3日に発売されたホビージャパンMOOK「モデルガンヒストリカルノート」

以下、HPの紹介文より

往年のモデルガンを懐かしく思い出すための一冊

モデルガンの第二最盛期であった1979年から1984年までの間に起こった大事件 “エアソフトガン襲来”について、当時何が
起こったのか、そして何が原因でトイガンの主役がエアソフトガンに変わったのかを、詳しく解説します。
この時代の出来事を正確に分析した資料はこれまでありませんでした。また当時語られることがなかった出来事がたくさんあり
ます。60年に及ぶモデルガンの歴史を語る上で、本書は貴重な資料になるでしょう。併せてエアソフトガン登場前史についても詳
しく解説します。
また、ガンプロフェッショナルズ誌で好評連載中の“ビンテージモデルガンコレクション”から、1962年―1982年に登場した往年
のモデルガン14機種をピックアップし、細部まで詳しくご紹介致します。

以上

紹介文を読んだ時から、これは「エアソフトガン ヒストリカルノート」ではないかと思ったら、実際その通りな内容でした。

“ビンテージモデルガンコレクション”の再録されたMOOKとして2018年に出版されたモデルガンクロニクル のMGCモデルガンヒストリー1960-1980の続きとして、この時代のことを取り上げるのは解りますが「往年のエアソフトガンを懐かしく思い出すための一冊 」であるのならば良いのでしょうが、もう少し違った着眼点があったのではないかと思います。

 

当ブログ2010年8月7日「MGGウィルソンLE・グロック17サイドラーカスタム」MGCのガスガンを紹介するにあたり、この時代の流れについて以前に書いております。

 

以下は、その部分に加筆修正したものです。

別にこちらの方が「この時代の出来事を正確に分析した資料」と言いたい訳では無いですし、それ程の物ではありませんが、懐かしんでは貰えると思います。

只の学生だったモデルガン・ファンが月刊Gun誌の広告等を見た時代の流れです。この当時はコンバット・マガジンもモデルガン・チャレンジャーも読んでいましたが、今は手元に残っておりませんので記憶にたよっています。

 

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1980年以前は、モデルガンは「リアルなCMC、作動はMGC。」という傾向があり、コクサイやマルシン製品の中には、他社のコピーもあるようなメーカーでした。

 

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Gun誌1980年12月号より

しかし80年になり、マルシンがPFCを開発。プラ製BLKオート第一弾としてブローニングHP を発売。後のP38 P38でBLKモデルガン初のショートリコイルを再現しました。

広告の「発売接近のNEWモデル」にあるブローニング140D.Aは実現しませんでしたが、翌年(1981年)内に発売され、まさに新作ラッシュでした。

 

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Gun誌1981年6月号の広告より

コクサイは81年にはS&Wリボルバーの、DAでハンマーが落ちる前にシリンダーをロックするという作動を完全再現して、NKJ 、Lフレームのバリエーション展開をしていき。また81年秋発売のM1910からプラ製モデルガンに金属的メッキを施したメタル・フィニシュを完成させました。

 

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Gun誌1982年4月号の広告より

CMCもM36とM19で、国際に続きS&Wリボルバーのメカを再現して、Mini14ではモデルガン初のロータリー・ボルトを再現。ニリューアルしたM1カービン(1983年末)からPFCを使用して作動面も向上しました。

 

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Gun誌1982年4月号の広告より

モデルガン初の3発バーストメカを搭載したVP70は完全とはいかなかったMGCだが、ニューモデル5として発売したニューガバメント(GM5 )はショートリコイルを再現し、それ以降のオートマチック・ファイヤリング・ピン・ロック・セフティを再現したP220 を始めM16M586 と今まで同様に作動も快調ながらも、今まで以上にリアルな外観とメカニズムを持った製品化していき、各社とも程度の差はありましたが「リアルで作動が良いのは当たり前」というような風潮になってきました。

 

モデルガンの新製品が毎月の様に販売されたということは、それだけ売れていたということで1982年にはコミック・ボンボンで「モデルガン戦隊」という漫画まで始まったのだから、この頃はちょっとしたモデルガン・ブームとはいかないまでも、ホビーとしてはそれなりに広がりを見せていたのではないでしょうか。

 

*「モデルガンヒストリカルノート」では野沢氏が、この時期を第2次モデルガン・ブームとしていた。業界的にはそうだと思いますが、一般的に同時期の「ガンプラ・ブーム」と比べるとブームと言って良いのか。MOOKの紹介文では「第二最盛期」としています。

 

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Gun誌1983年5月号の広告より

 

リアルで作動が良いモデルガンが当たり前になってきて、「モデルガン初の○○○を再現!」というのもなくなり、新しい「何か」を求めようしてもモデルガンがある一定の完成度に達していたので、関心の目が銃口の先へと伸びていきます。そういった傾向の始まりを感じたのはポリス用品、実銃用ホルスターやグリップから、ガバメントのカスタムパーツの販売を手がけてきたJACからスナイパーF1の登場からでした。

同月号のコンバット・マガジンで、イチロー氏がアメリカのペイントボールガンによるサバイバルゲームを紹介しております。

 

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モデルガン・チャレンジャー誌(創刊号1983年6月号)への移籍したイチロー氏を失ったコンバット・マガジンは、次号から日本でもエアソフトガンを使ってのサバイバルゲールを紹介した記事を掲載し、エアソフトガン関連の記事を増やしていきます。当時、専門誌位しか情報源の無い時代ですから影響力は大きく、ファンの心を動かしていきます。

 

それまで架空銃の多かったエアソフトガンは、モデルガン・ファンには見向きもしなかったがサバイバルゲールという遊び方を提供され、マルゼンのKG9は出来も悪くなかったことからモデルガン・ファンにも受け入れられていくようになっていきます。

そしてモデルガン・メーカーも方向性が変わり始めます。

 

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Gun誌1983年8月号の広告より

 

リボルバーを得意としていたコクサイも、BLK方式が3作目コルト・ポケットからのP.E.ピストンで完成され、そのBLKパワーをピストンのコッキングに応用して、モデルガン初のBB弾発射機能付のスーパーウェポンシリーズを発表しました。発売は1983年7月下旬~8月上旬。

時期を考えても、サバイバルゲームの流行の兆しが来る以前から企画していたと思われます。モデルガンメーカーとしても銃口の先を見据えた商品を開発していきます。

スーパーウェポン・シリーズは後にXM177E2.M700BDLとシリーズ展開していき、モデルガンとして発売される予定であったS’70はエアコッキングガンに化けてしまいました。(Gun誌1982年8月号のモデルガン・ダイジェストに82年秋に発売予定とあり、試作品と思われるのはホルスターの広告に使われていました。)

 

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Gun誌1983年9月号の広告より

中田商店から発売された九九式短小銃、製造はタナカ・ワークス

モデルガン1983年5月号のモデルガン・ダイジェストでレポートされています。

 

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同じく9月号の新製品紹介にはタナカAC556Kが紹介され、田中木工からタナカ・ワークスへモデルガン・メーカーに変革したのでありました。

 

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Gun誌1983年10月号の広告より、シューターワン(RAY-X203)の発表

 

MGCは規制に関する裁判を闘ってきた経緯から、「モデルガンは弾の出ない安全なオモチャ」という認識が強いので、モデルガン・チャレンジャー誌でスーパーウェポン等を非難。あくまでも弾の出ないモデルガンで銃口の先の世界を表現しようとシューターワンを開発しました。

 

遊べるモデルガンを作り続けてきたMGCとしては、さらにモデルガンでの遊びに広がりを持たせる為。また当時絶大な人気を誇り、モデルガン・ファンに影響を与えてきたイチロー氏の毎月レポートで知れ渡ったコンバット・シューティングの世界を体感出来るものを販売して、同時にGM5で、カスタムガバメントを売り出していくための必然性を持たせようとする戦略があったのではないでしょうか。

 

月刊ビジエールとも言われたMGC主体のモデルガン・チャレンジャー誌でイチロー氏を使い、シューターワンを宣伝していっても、コンバット・マガジン誌の置き土産のサバイバル・ゲームの紹介記事から、時代がエアソフトガンへシフトしていったのは何とも皮肉であります。

 

Gun誌も1983年12月号からエアーソフトガン・コンテストが始まり(第1回はマルゼン・ミニウージー)徐々にエアーソフトガンを取り上げる記事が多くなってきました。

 

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Gun誌1984年1月の広告より

コクサイの後を追うように、マルシンからシューティングデバイス発売。

とりあえずコクサイのスーパーウェポン的な物を、取り急ぎ発売したという感じの物でした。

マルシンは1984年11月15日発売のM1カービンから、本格的にエアソフトガンを販売していきます

 

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Gun誌1985年1月号の記事より

全日本プラモデル見本市で、造るモデルガンの南部14年式が発表されていました。約3ヶ月後には発売する予定だったのですから、開発はかなり進んでいた筈なのに中止になってしまいました。

モデルガン・チャレンジャー1985年1月号で休刊となります。全20号と短命でした。

造るモデルガンの14年式が発売中止になったのも、モデルガン・チャレンジャー休刊でもうモデルガンでは商売にならないと判断したのかもしれません。

 

モデルガン・チャレンジャー誌を立ち上げる時にはMGCを初めモデルガン業界は勢いがあったし、カリスマといえるイチロー氏さらに、くろがねゆう氏を引き抜いて、コンバット・マガジンの読者層の大半も引き込めるという魂胆はあったかと思いますが、レースガンに興味無い人もいるので一部のマニア層の読者しか獲得できなかったのでしょう。

チャレンジャー誌がプッシュしたシューターワンも、ターゲット単体での価格も¥7,000と安くはなく、精度面や自由度の無いことで多くには受け入れられなかったのも敗因かと。


TV・映画等の影響でガンに興味を持ち83年初めまでは増えていったモデルガン人口が、比較的ライトな読者層が多かったと思われるコンバット・マガジンのサバイバルゲール記事からの方向転換により、読書の多く興味をサバイバルゲールとエアーソフトガンへと向かわせた。そしてGunもミリタリーも興味を持たなかったが、サバイバルゲールの興味を持つようなった人達が以外と多く集まり、その勢いにモデルガンは敵いませんでした。

 

Gun1985_2Gun1985年2月号の広告より

 

東京マルイからも、こんなのが発売されていました。これも先の全日本プラモデル見本市で発表されていたのですが、こちらが商品化されたのは発射機構がついているからなのでしょう。

 

造るモデルガンで発売される予定だったウッズマンはツヅミ弾使用のエアースポーツ銃(プラモデル)として1983年発売されて、その後もエアーコッキングガンを各種販売してゆき1991年には電動ガンを開発して、今ではエアーソフトガン界のトップになるとは、この頃には想像もつきませんでした。

 

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Gun誌1985年5月号の広告より

 

MGCからも、エアーソフトガンとしてベレッタM93Rが発表されました(発売は7月)。
フロンガス使用のエアーソフトガンとして、この少し前にJACのバトルマスターが発表されたが、リキッド・チャージ・マガジン式にして外観を崩すことなく、トリガーを引くだけで連射可能としたモデルガン・メーカーのMGCが作りあげたエポックメイキング的なエアーソフトガンで大ヒット作となりました。

 

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Gun誌1985年6月号の広告より

MGCと共にシューターワンを推進してきたWAも、85年4月27日からAR7を改修してガスガンとして、スナイパー・カスタムを発売しました。

これ以降、WAからモデルガンの新作が発売されることはなくなりました。

 

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Gun誌1985年11月号の広告より

ハドソン初のエアーソフトガンとしてM3A1グリースガンが発売。SPGの刻印があったことから、元々モデルガンとして開発されていたと思われます。モデルガンとしては1992年になって発売されました。

 

この号にモデルガン(シューターワン)によるスチールチャレンジが紹介されています。60人参加の予定が半分しか集まらなかったとあり、シューターワンがあまり盛り上がらなかったことがわかります。共催はMGC、WA、TEXAS、コクサイ、ハドソン、モデルガン愛好家協会でコクサイが入っていたのは意外でした。

 

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Gun誌1986年12月号の広告より

 

シューターワンで公認を得てジャパン・ビアンキ・カップを開催してきたMGCが、エアーソフトガン部門を開催していく為に欠かせないのがカスタム・ガバメント。第一弾はウィルソンLEでした。シングル・アクションの様で、そうでない独特のメカは流石にタニオ・アクションを生んだMGCならではです。

 

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Gun誌1987年2月号の広告より

二式小銃・スポーター、四四式騎銃、トラップドア、四四式騎銃、百式短機関銃と高品質の長物モデルガンをつくってきたタナカもエアソフトガンに参入していきます。この前にマルゼンMini14用木製ストックを発売したことからその傾向はありましたが、エアソフトガンでも成功をしたからこそ、現在のモデルガンを語るのに無くてはならない存在になりました。

 

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Gun誌1991年8月号の広告より

エアーソフトガンを発売しなかった東京CMCはWikipedia によると1985年に解散、アメ横の店舗は1995年に閉店とあります。Gun誌への広告はこれが最後です。

 

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Gun誌1991年9月号の広告より

それまでガス・ブローバックのエアソフトガンは、マルゼンM59は、小型ボンベをグリップ部に、チュープ式マガジンをスライドに入れる物で、ファルコントーイのブレンテンは、外部タンク方式でありました。

MGCはリアルな外観のグロック17の革新的なガス・ブローバックを発売して、エアソフトガンにおいても確かな地位を築いたのも短い間で、1995年3月には、MGCは製造部門を廃業することになりました。

 

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モデルガンヒストリカルノートの表紙はMGC M59、裏表紙はMGC GM4
この2挺はモデルガンクロニクル のMGCモデルガンヒストリーの最後に語られていて、そちらの表紙に使った方が良かった組み合わせで、この時代のモデルガンを語る本の表紙にはシューターワンのカスタムガバメントの代表とも言えるピンガン の方が相応しかったと思います。

モデルガンクロニクルの後としては、「第二最盛期」のMGCだけではなく各メーカーのモデルガンについて語ったMOOKを発売して欲しかったです。

 

「エアーソフトガンヒストリカルノート」のタイトルで表紙はマルゼンKG9にして、ビンテージモデルガンコレクションの再録ではなく、タイムワープ19〇〇をまとめた物を収録すれば、まとまった本になったと思いますが、そうせずに「モデルガンヒストリカルノート」に組み込んだのは、モデルガン愛好家よりはるかに多いエアソフトガンユーザーですが、中古品の相場を見ると古いエアソフトガンに興味がある人が余りいない様なので、モデルガンのMOOKに組み込んだと推測されます。

私はエアソフトガンも所有しており、その楽しさも知ってはおりますが、モデルガンと一緒に語っては欲しくないのです。車の模型で言ったらエアソフトガンはラジコンで、モデルガンはミニカー・プラモデルで別物と思ってます。モデルガンの本でクリーンヒッター理論なんか読みたくはないのです。

 

また何年後かに「ビンテージモデルガンコレクション」をまとめたMOOKは発売するのでしょうが、特集記事としてこの時代以降の金属ハンドガンの復活、HW化しての再販、リアルマッコイ、ランパウントクラシックの高級路線、HWSやCAWのショップからのメーカー化、ハドソン、MGC、コクサイのブランドの消滅。それでもモデルガンの灯は消えないとかなりそうです。

 

Gun誌ライターだったHiraru氏が「モデルガン誕生」という本を企画していましたが、HPが消えてしまいました。私としては白黒からの「ジャック天野のモデルガン・ダイジェスト」と「モデルガン盛衰記」をまとめた本を出してくれないかと何年も前から思っているのですが。

 

2012年3月 3日 (土)

銃・射撃の専門誌 Gun Professionals

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「月刊Gun」の休刊から5か月、ホビージャパンより「Gun Professionals」が創刊しました。

アームズマガジン2月号付録のVol.0は幻となった月刊Gun2012年12月号の記事をまとめたものでしたが、創刊号もGun誌のテイストを残したままスタートしてくれました。
ヒサ クニヒコさんの「GUN SMOKE」が無くなったのは残念ですが。

創刊記念に秋葉原の書泉ブックタワーで開かれた「床井雅美×くろがねゆう トーク&サイン会」に行ってきました。

会場は70人位、床井さんの講習会常連と思われる50代の方が多かったでしょうか。Gun誌休刊の経緯についての話はないだろうなと思っていましたが、新雑誌についての方針等のついて両氏で話し合うかと思えば、ほとんど床井さんの講習会でありました。

SHOT Showで発表された銃をプロジェクターで紹介しつつ。最近のGunのトレンドについて、樹脂フレームから黒・銀色以外のGun、ハンドガンのカービン化、アサルトライフルのSMG化等の内容で、後に創刊号にサインを頂きました。

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この背表紙は、ニヤリとさせてくれます。

Gun誌休刊のニュースは寂しいと思いつつもモデルガン同様、収納場所に困り始めていた所なので、このまま毎月買う雑誌が無くても良いかと思っていたのですが、 これからはGun Professionalsの背表紙が並んでいくことになりそうです。

2010年5月 9日 (日)

MGCをつくった男/MGC創立50周年記念モデル NATIONAL MATCH SEMI-CUSTOM 

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今回は昨年12月に発行され、JUMOさんTDF MRIさん等のブログで、既に多く取り上げられている「MGCをつくった男」とMGC50周年記念モデル ナショナルマッチ セミカスタムを紹介していきます。

新日本模型・MGCが平成18年12月20日に工場取り壊しによる休業をしてからも、会社は存続しNEW MGC福岡店のHPには、極少数ながらも新入荷の商品があったりすると、まだNGCは終わってはいないと、ちょっとだけ安心した気持ちになれたのですが、昨年9月に、マルゴーのブログでMGC50周年記念刻印モデルが出ると知った時は、MGC本体が解散してから15年にもなり、こんな状況で、50周年記念と言って良いものかと思っていました。

ホビージャパンMOOK320「MODELGUN DIGEST」の巻末のプレゼントページに紹介されていた「MGCをつくった男」活動50周年を迎えて発行とあり、これは是非とも読んでおきたいとNEW MGC福岡店に電話で注文。本代は¥700だが、それより高い¥787の送料手数料を払って購入しました。

50周年記念モデルと「MGCをつくった男」の発行で、ひょっとしたらMGCは50周年を機に復活までは行かなくても、もう少し活動的になっていくのではないかという淡い期待も、読むまでは持っていました。

しかし、MGCをつくった男・神保 勉氏の幼少期からMGC創業から解散までを綴った後には「新日本・NGCは平成22年4月30日にて工場閉鎖をします これまでのご利用有難う御座いました」とあり、ガバメント・トンプソン・ニューローマンの金型売却案内と、この機にNEW MGC福岡店の店舗を除き、MGCの活動を終了を告げるものでした。

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そうともなると、あまり興味がなかった50周年記念モデルでありますが、MGC製品を新品で購入するのも最後になりそうで、それに相応しいであろうと購入しようと決めました。先のチラシには載っていなかったナショナルマッチ セミカスタムが新日本模型・MGCのHPにあり、ノバックサイトのガバはMEUがあるし、今後、GM7を購入する時もノバックサイトのものになりそうなので、ボーマーサイトのガバが良いだろうと。カタチは大分違えど、MGC20周年記念モデルもナショナルマッチ(GM4)・ベースじゃないかと。

購入する決意は決まってもマルゼンP99ハドソンDE50と立て続けに購入していたので、買い渋っており、通販だと送料も掛かるので、少しでも安く買いたいとマルゴーに問い合わせても、昨年12月の段階では入荷の予定がないとのことで、NEW MGC福岡店のHPを見れば残り2挺となっており、これはすぐに買わねばとカゴに入れたのでした。

限定品で、工場も4月で閉鎖するというのに、ナショナルマッチ用のパーツ表が付いてきたのは意外でした。第2次大戦記念モデルは専用パーツの別売りは出来ませんという注意書きがあったのですが。

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S'80の刻印のモデルガンも持っていないというのも、購入の決め手でした。幅の広い斜めのセレーションの入ったスライド、S'80刻印、ボーマーサイトの組み合わせのコマンダーカスタムがあったのは記憶してますが、この組み合わせの5inスライド・モデルがこれ以前に発売していたかどうかは不明です。

50周年記念モデルの中でもナショナルマッチとコマンダーは生産数が少ないと思い、無理してでも慌てて購入したのですが、今年に入るとマルゴーに入荷していたり、福岡店で売り切れになったと思ったら、再入荷して現在でも購入可能となるとちょっと先走りし過ぎた感はありますね。

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ナショナルマッチ セミカスタム購入時にも「MGCをつくった男」がサービスでついて来て、保存用が揃ってしまいました。

真っ黒いガバも色気がないしMEUもあるので、バレルをBARSTO刻印のシルバーバレルが残り一本だったので、同時に購入しました。 グリップパネルは、とりあえず ナショナルマッチ ロングスライド セミカスタムに付いてた木目プリントのプラグリップを付けてます。今のところ手持ちのグリップではこれが一番しっくりいっているような。

これまで、MGC製品を数多く手がけた小林太三氏については、辰巳出版の「モデルガン・グラフティ」や雑誌等でインタビュー記事を目にすることも多く、その人物像や制作秘話を知ることが出来たのですが、MGC創業者の神保氏について、初めてその想いを知ることが出来、興味深い内容でした。

MGC製品については、当時の広告は載せてありますが、それについてはほとんど語らず、MGCという会社をつくった男として、創業から、行政指導・規制を乗り越え、映画・TV界の提供や、多くの提携や契約をして、万博出展からJAPANビアンキカップ開催をし、平成8年12月5日付けで清算し、株式会社MGCを解散を決定したで終わる。一つの時代を作り、やりきった男の記録というような内容であります。

それから13年半、MGC製品は生産・販売され続けましたが、それには触れておりません。台東商事や新日本模型と神保氏がどのように関わっていたかは判りませんが、書いてないということは、氏にとってはMGCは既に終わっているものだったのでしょう。

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一番多く触れていることが、規制についてであります。
「モデルガン」という名前を付け、それで商売をして従業員を雇い、まさに勝負を掛けていった物が規制により存続を脅かされて、裁判で戦っていったというのは、規制後にモデルガンの興味を持ち始めたに過ぎない私には判りえないことであったと思います。

モデルガンが金色であったからこそ興味を持ち始めた私でありますが、規制の事実を知るようになると、またいつしか規制があるのではないかと、それに向けて何か出来ることはないかとモデルガン愛好家協会に入会していました。

「モデルガンは弾の出ない安全なおもちゃ」でありますが、ユーザーの多くの関心が銃口より先の世界へ行ってしまい。モデルガン・メーカーも商売でありますから、エアソフトガンを中心に販売していくようになると、モデルガン愛好家協会も活動を休止してしまいました。それ以降、エアソフトガンの発売禁止や規制はありましたが、46年・52年規制についての話題が雑誌でも取り上げられることもなく、今回「MGCをつくった男」を読んで、久しぶりに思い起こすこととなりました。

エアソフトガンのパワー規制というは銃刀法以前に業界の自主規制によって、抑えられなければいけなかった問題ではなかろうか、モデルガンとエアソフトガンは別物であるが、こういったことは46年・52年規制が忘れ去られてきたからではないかと思ってしまう。

最近のモデルガンでも、タナカやコクサイのリボルバーのシリンダーのインサートが極めて小さくなっています。樹脂製リボルバーのシリンダーインサートは自主規制で無くても良い物なのですが、見た目としては小さい方が良いけど、これで良いの?という矛盾した気持ちが湧いてきてしまいます。80年代ごろからモデルガンのマズルにもライフルリングが再現されるようになってきた時に、これによってバレル内のインサートが奥まってしまっているのではないか、という指摘が雑誌の読者欄に書かれたこともありました。よりリアルなモデルガンは当然、欲していますが、それが規制の呼び水にならないようにしてもらいたいです。海外のトイガンのように銃口が赤くなるより、WAのSAAの様なバレルインサートの方が、はるかに良いです。

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MGCはカタログや販促用の冊子等に力を入れてきて、こういった面でも私達を楽しませてくれてました。

ここに来てモデルガンの新作も発売されるようになってきたのであるが、ハドソンに引き続きMGCも幕を閉じてしまうのは寂しい限りであります。現在活動中のメーカーは、さらに魅力ある商品を販売して、楽しませて欲しいものであります。

それをまた伸ばしていくかどうかは、私達ユーザーであります。新作のモデルガンが発売されても、中古ばかりに手を出していたら意味はありませんし、馬鹿な使い方をすれば、規制への引き金となってしまうことを忘れてはいけません。

2009年4月19日 (日)

SIGHT

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色々とありまして、コメントの返答が遅くなったり、更新が滞っているのが続きまして申し訳ありません。、そんな状態でも変わらずに大勢の方が訪れてくれて、ありがたくおもいます。去年のように約週一更新とはいきませんが、ボチボチとやっていきたいと思います。

今回は毎度、コメントを書いてくださっているSS32オートさんから頂いた同人誌「SIGHT」を少しばかり紹介していきます。

まず23号(1991年2月発行)のこの表紙のホーグのナショナルマッチ・カスタムに驚かされます。SIG P210のようにスライドをフレーム側から包み込んでおります。Jumoさんの「ゆも庵」1月4日の記事にあるジム・ボランド作の「FK(エフケイ)」もガバのスライドをこのように加工しておりますが、モデルガンでこれを実現するとは!強度面は大丈夫なのだろうかと興味あるところですが、誌面ではこのカスタムについて振れていないのが残念であるります。

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裏表紙は「ミカドロイド」、誌面でも撮影現場レポートが載っています。他には国際産業のルガー22オート、中田のブローニングハイパワー、MGCの金属M16、九六式軽機関銃の電着銃の記事等とかなりマニアックな内容となってます。

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こちらは増刊3号(1991年5月発行)、表紙にあるとおり、創刊号(1985年11月発行)から8NO.8(1987年2月発行)までの記事をまとめたものです。

この増刊用にMGCモーゼルHSCの記事が書き下ろされていますが、No.1~8の記事としては、マルゼンカップやMGCのGM6のレポートやスティールチャレンジのレポートとエアーソフトガンが盛り上がっている時代を感じさせる記事が多いです。

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裏表紙のイラストもちょっと時代が感じさせます。SIGHT誌のホームページによると、発行はNo.41から止まっているようで、HPの更新も2002年4月からしていません。販売店のリストを見ると同人誌でありながらガンショップ以外でも、書店での取り扱いが思ったより多かったのには驚きました。当時、北関東にいた私には目には入りませんでしたが・・・バックナンバーを見ると読んでみたい記事はあるので、増刊号はまた発行してくれればと思うのですが、せめてHPの更新はしてもらいたいですね。

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前回、紹介した「BIG SHOT 日本映画のガンエフェクト」は好評なようで、手に取られた方も多いと思う。発売から日数も経っているので、今更私がどうのこうの書くより、荒鬼さんの「愛銃総進撃」4月3日の記事TDF MRIさんの「ウンチク野郎の、空と模型とトイガンと」の4月4日の記事を読んでもらったほうが、的確な解説をしてくれてますので、まだ購入を検討中の方はそちらを参考にしてもらったほうが良いですね。
この本を読んでの思わぬ収穫はタニオ・コバの小林代表とKSCの寺田代表が新作モデルガンについて語っていることですかね。様々なモデルガンが発売されたほうが、日本映画においても小道具のバリエーションが増えていきますからね。モデルガンと日本映画は共に歴史を重ねていった物だということが良くわかります。

次回更新は5月中に、モデルガンの紹介を一回位はやりたいと思っているのですが 、、、
ネタが無くなってしまったわけでもないのし、モデルガンに飽きてしまったわけでもないので、ブログの休止はしないですが、ブログに時間をかけられない状態はもうしばらく続きます。

2009年3月 2日 (月)

BIG SHOT 日本映画のガン・エフェクト

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昨年の8月に白夜書房のW氏からメールが届いた。内容は以下のようなものであった。

日本映画の劇中で使用されます、
小道具としての銃、
いわゆる「プロップ・ガン」をはじめとする、
その際の弾着効果などといった、
銃の演出には欠かせない存在であります、
数少ない特殊効果専門事務所の内、BIG SHOTとその代表、納富貴久男氏に的を絞り、
そこから日本映画のガン・エフェクトの歴史や実際の仕組み、
BIG SHOTが携わった作品別プロップ・ガンの紹介等など、
資料写真をふんだんに使用いたしますビジュアルブックを企画しているので、

その宣伝に協力してもらえないだろうかというものでした。

たしかに興味ある内容ではあるが、最近の刑事ドラマからは銃撃戦がなくなってしまっているので、そこから銃に興味をもつ人も少なくなってきていると思うので、この時代にこのような内容の本を企画するのもどうかとも、偉そうに問いただしたのですが。

一般に受け入れられなくとも、受け入れてくれるマニア層が「確実に存在する」という証拠があれば、「売れる」「売れない」の是非はあまり強く問われません。

という返答があり、この力強い言葉に惹かれて、この企画に賛同することとなりました。

たしかにMGCMC BONDCHOPに集う方々をはじめ、プロップガンに惹かれ、モデルガンの道に踏み入れた人は少なくありません。もちろん、私も少なからず影響を受けております。

そのようなマニアが待ち望んだビジュアルブックがまもなく発売されます!

●書籍名:
BIG SHOT 日本映画のガン・エフェクト
●監修:納富貴久男(BIG SHOT)
●価格:
2500円+税
●発売日:
3/25
●発売:
株式会社コアマガジン
●宣伝文句(帯に入る言葉です):
○BIG SHOT 納富貴久男の過去・現在の仕事を通して、日本映画のガン・エフェクトを豊富な
カラー写真・スチールで徹底解説!関係者のインタビューはもちろん、専門ライターや大学教
授による史実的な検証・考察も押さえた、映画本の棚に加えるべき一冊!
○メディア初!映画監督・北野武が、ガン・アクション演出術、その手の内をついに告白する!他、大川俊道監督、押井守監督、きうちかずひろ監督、石井隆監督、深作健太監督ら総勢6名のガン・アクション・インタビューを収録。一般誌・映画誌では絶対にあり得ない顔ぶれがこの1冊に!
○執筆陣:青井邦夫、木島章太郎、ギンティ小林、くろがねゆう、粉川哲夫、小峯隆生、藤木義勝
●帯文表:
押井守
●帯文裏:
北野武
●具体的なコーナー名(抜粋):
☆プロップ、弾着、アニメ監修など、BIG SHOTが行なう仕事を豊富な写真で解説していく「MAKING OF GUN EFFECT(巻頭カラー)」
☆過去にBIG SHOTが携わった作品をプロップ・ガン写真と劇中スチールを並列して解説(一部作品)、さらには各作品の映画監督インタビューを押さえた「THE BEST WORK OF BIG SHOT & SPECIAL INTERVIEW」
☆納富貴久男ロング・インタビュー
☆くろがねゆう氏による「日本映画のガン・エフェクト史とモデルガン業界の動向」
☆BIG SHOTのガン・エフェクトをサポートするスタッフインタビューをまとめた「BIG SHOTに関わる人々」
☆MGCのOBたちが映画業界との関わりを詳細に語る「映画とMGC」
☆ガン・エフェクトの歴史を映画創世記から辿った学術的ページ「THE WORLD HISTORY OF GUN EFFECTS」

と、なんともドキがムネムネの内容じゃないですか。

私も今はこれだけの情報しかないのですが、思ったよりもかなり期待できそうです。

実際に本を入手してみたら、また取り上げたいと思いますが、皆さんも3月25日には書店で手にとって見てください。

2009年1月12日 (月)

SHOOTIST MGC CATALOG 1989 DELUXE EDITION

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Jumoさんの1月4日の記事で1987年の週刊プレイボーイにて掲載されたイチロー氏撮影のカレンダーが紹介されております。そのカレンダーは私も保存していたつもりなのですが手元に見つからなく、あやふやな記憶でコメントを書いたら勘違いしてしまいました。
今回はその勘違いの元になった「SHOOTIST」の中からいくつかのカスタムガンを紹介します。

MGC創立30周年記念として、MGC1989年版カタログのデラックス・エディションとして、「SHOOTIST」を発刊しました。
内容はリアルガン・コレクション 18ページ
イチロー氏のMP5A3の記事 14ページ
イチロー氏のAR-15A2の記事 12ページ
カナディアン・サバイバルゲーム 8ページ
MGCエアーソフトガン IN USA 25ページ(ロブ・レイサムやミッキー・ファラー、SWATチームにMGCのエアーソフトガンを撃たせてます)

MGC1989年カタログ部
エアーソフトガン12ページ+ガスやBB弾等1ページ
モデルガン11ページ
スコープ+オプティカル・サイト2ページ
ホルスター+アクセサリー3ページ

デラックス・エディションなだけカタログだけでなく、記事も充実した豪華な内容となっております。リアルガン・コレクションの中から、プレイボーイのカレンダーと被らないカスタムガンを掲載します。

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珍しいM645ベースのIPSC対応カスタム、シングル・アクション化されコック&ロック出来る「クーガン・カスタム」

1989年のカタログでは、ガスガンのM645が一番の新製品だった時代です。
MGCが後に発売したピン・ポインターはセフティをスライド側に移しており、M645の弱点を克服している。

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ボウランド作「9mmメイジャー」これの元はイチロー氏が始めてビアンキカップに出場した時に使用したナイゴード。ボウランドはボウランドの良さがありますが、カタチとしてはナイゴードの方が個人的に好きです。でも実際に試合で使っているイチローとしては、ジャムる銃なんかじゃしょうがないだろうけど。

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「THE PENCIL」プレイボーイのカレンダーに載っていると勘違いしたのがこれ。
無駄を排除したシンプルなスタイル。シンプルすぎる感じもするが、その無駄の無さが魅力的でもあり、何だか気になる一丁。

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ヒューニン・カスタム。ビアンキカップ用のカスタムガンで、バリケード・シューティングでマズルを握るスタイルが定着してきたが、まだシュラウドタイプが登場する前で、カスタムガンの美しさを持っていたのはこのあたりが最後ではなかろうか。

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ジョン・フレンチ作のイチロー氏のビアンキ・カップガン。
ユニバーサルのような派手さはまったくないが、世界19位の記録をつくったというのがうなずける。優れた機械としての美しさを持つ。

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小さなコンペンサーを追加しただけの「フレンチ・カスタム」
NewMGCのカスタム・ガンとしても発売されておりました。
さりげないカスタムというのもいいのですが、押しが弱い感じもして購入にはいたりませんでした。

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カタログ部分は、ただ並べて真横から撮影されており、1994年のカタログように小物を配置した写真ではないので、面白みがやや欠けますのでキットモデルのところだけ。昔のカタログを見るのは楽しいのですが、買っておけば良かったなと思えるものばかりで、、、今なら安いと思える金額でもその時には変えなかったのだよね~

「SHOOTIST 1990 MATCH EDITION」というのもありますので、こちらもやがて紹介しようと思います。

色々ありまして、モデルガンの紹介記事が書けるのは2月中旬頃になりそうなので、気長にお持ち下さい。

2008年6月15日 (日)

MGC ALL CATALOG 1994

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私がMGCの1992年版のカタログを見たことがないといったら、荒鬼さんの「愛銃総進撃」6月6日の記事で、公開してくださったので。そのお礼としまして、荒鬼さんが御覧になっていない1994年のMGCカタログをおとどけします。

MGCカタログ1994はA5判、全48頁でその内、モデルガンの部分は15頁です。ちなみに定価¥700。表紙には「THE FINEST REPLICA GUN」とあります。最も素晴しいレプリカガンを製造していたメーカーも今となっては、、、これがMGCとしては最後のカタログになってしまいました。

モデルガン部分15頁を大きめにスキャンしましたので、お楽しみ下さい。

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一番最初に載っている「COMPLETION COMMEMORATIVE MODEL」は非売品であったが、NewMGC上野店の閉店間際に¥40,000で売りに出されていた。

5月3日の記事で紹介したMGC 44マグナムPPCカスタムを買うときにあったのだが、手持ちの金額の問題もあったが(ガバを買えばPPCが買えなくなる)、このような非売品記念モデルは、私なんかより古くからのMGC愛好者の人の手の渡るべきと思って諦めました。でも、すぐさま銀行行って、両方買っておいても良かったかなと思ってもおりますが。

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「NEW」と書かれている商品は多いですが、HW化やバリェーションの追加で、1992年カタログのベレッタM9程の新製品らしい新製品がないのが寂しいです。キットモデルもなくなっています。

御要望があれば、別の年代や他メーカーのカタログも出していこうと思います。

2007年12月29日 (土)

JOHN V.MARTAZ CUSTOM

*今回は、だいじそさんの元祖「Gun物喪志」12月20日の記事「やりかけだらけの人生」のトラックバックの為の記事です。     

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Gun誌1983年6月号でJack氏がレポートした、ジョン・マーツ氏によるシルバーのワルサーP38。手によって作動されるパーツはストローフィニッシュで、シルバーとの組み合わせがとても美しい。

ジョン・マーツ氏はP38とP08専門のガンスミスで、Gun誌1984年8月号と9月号でマーツ・カスタムを特集しています。仕上げだけではなく、9mmのP38やP08を45ACPにしてしまう凄い人です。

素晴しいマーツ・カスタムを御覧下さい(Gun誌1984年8月号Jack氏のレポートより)

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このベイビー・ルガーは45ACP仕様です。

38_45acp

P08_38super