
80年以前は、モデルガンは「リアルなCMC、作動はMGC。」という傾向があり、国際やマルシン製品の中には、他社のコピーもあるようなメーカーでした。
しかし80年になり、マルシンがPFCを開発。プラ製BLKオート第一弾としてブローニングHPを発売。後のP38でBLKモデルガン初のショートリコイルを再現しました。
国際は81年にはS&Wリボルバーの、DAでハンマーが落ちる前にシリンダーをロックするという作動を完全再現して、N、K、J、Lフレームのバリエーション展開をしていき。またM1910からプラ製モデルガンに金属的メッキを施したメタル・フィニシュを完成させました。
CMCもM19で、国際に続きS&Wリボルバーのメカを再現して、Mini14ではモデルガン初のロータリー・ボルトを再現。ニリューアルしたM1カービンからPFCを使用して作動面も向上しまいた。
モデルガン初の3発バーストメカを搭載したVP70は完全とはいかなかったMGCだが、ニューモデル5として発売したニューガバメント(GM5)はショートリコイルを再現し、それ以降のオートマチック・ファイヤリング・ピン・ロック・セフティを再現したP220やM16、M586と、今まで同様に作動も快調ながらも、今まで以上にリアルな外観とメカニズムを持った製品化していき、各社とも程度の差はありましたが「リアルで作動が良いのは当たり前」というような風潮になってきました。
モデルガンの新製品が立て続けに販売されたということは、それだけ売れていたということで1982年にはコミック・ボンボンで「モデルガン戦隊」という漫画まで始まったのだから、この頃はちょっとしたモデルガン・ブームとはいかないまでも、ホビーとしてはそれなりに広がりを見せていたのではないでしょうか。

Gun誌1983年5月号の広告より
リアルで作動が良いモデルガンが当たり前になってきて、「モデルガン初の○○○を再現!」というのもなくなり、新しい「何か」を求めようしてもモデルガンがある一定の完成度に達していたので、関心の目が銃口の先へと伸びていきます。そういった傾向の始まりはポリス用品、実銃用ホルスターやグリップから、ガバメントのカスタムパーツの販売を手がけてきたJACからスナイパーF1の登場からでした。

Gun誌1983年8月号の広告より
リボルバーを得意としていたコクサイも、BLK方式が3作目コルト・ポケットからのP.E.ピストンで完成され、そのBLKパワーをピストンのコッキングに応用して、モデルガン初のBB弾発射機能付のスーパーウェポンシリーズを発表しました。

Gun誌1984年1月の広告より
コクサイの後を追うように、マルシンからシューティングデバイス発売。
コクサイもマルシンもモデルガン・メーカーとして意地なのか、モデルガン・ユーザーに受け入れられやすいようにか最初は、キャップ火薬によるBLKのパワーを利用していました。

Gun1985年2月号の広告より
造るモデルガン・シリーズを展開していた東京マルイからも、こんなのが発売されました。6年後には電動ガンを開発して、今ではエアーソフトガン界のトップになろうとは・・・

Gun誌1983年10月号の広告より
シューターワン(RAY-X203)の発表
MGCは規制に関する裁判を闘ってきた経緯から、「モデルガンは弾の出ない安全なオモチャ」という認識が強いので、スーパーウェポン等を非難。あくまでも弾の出ないモデルガンで銃口の先の世界を表現しようとシューターワンを開発しました。
遊べるモデルガンを作り続けてきたMGCとしては、さらにモデルガンでの遊びに広がりを持たせる為。また当時絶大な人気を誇り、モデルガン・ファンに影響を与えてきたイチロー氏の毎月レポートで知れ渡ったコンバット・シューティングの世界を体感出来るものを販売して、同時にGM5で、カスタムガバメントを売り出していくための必然性を持たせようとする戦略があったのではないでしょうか。
しかしイチロー氏は月刊ビジエールとも言われたMGC主体の「モデルガン・チャレンジャー」誌への移籍間際に「コンバット・マガジン」誌でアメリカのペイントボール・ガンによるサバイバル・ゲームを紹介。これを読んで影響されていった人達は、「日本にペイントボール・ガンはないが、エアソフトガンがあるではないか」と、それまで架空銃の多かったエアソフトガンはモデルガン・ファンは見向きもしなかったが、マルゼンのKG9は出来も悪くなかったのでモデルガン・ファンにも受け入れられて、次号から日本でのKG9使用でのサバイバルゲーム記事を紹介し始めて一気に広まっていきました。
Gun誌も1983年12月号からエアーソフトガン・コンテストが始まり(第1回はマルゼン・ミニウージー)徐々にエアーソフトガンを取り上げる記事が多くなってきました。コクサイのスーパーウェポンはXM177E2.M700BDLとシリーズ展開して、マルシンは84年のM1カービンから、本格的にエアソフトガンを販売していきます
MGCがチャレンジャー誌でイチロー氏を使い、シューターワンを宣伝していっても、ターゲット単体での価格も安くはなく、精度面や自由度の無いことで多くには受け入れられずに、チャレンジャー誌は一年半で休刊となってしまい。サバゲー&エアソフトガンの勢いには敵いませんでした。

Gun誌1985年5月号の広告より
MGCからも、エアーソフトガンとしてベレッタM93Rが発売されました。
フロンガス使用のエアーソフトガンとして、この少し前にJACのバトルマスターが発表されたが、リキッド・チャージ・マガジン式にして外観を崩すことなく、トリガーを引くだけで連射可能としたモデルガン・メーカーのMGCが作りあげたエポックメイキング的なエアーソフトガンでした。
MGCと共にシューターワンを推進してきたWAも、85年4月27日からAR7を改修してガスガンとして、スナイパー・カスタムを発売しました。

Gun誌1986年12月号の広告より
シューターワンで公認を得てジャパン・ビアンキ・カップを開催してきたMGCが、エアーソフトガン部門を開催していく為に欠かせないのがカスタム・ガバメント。第一弾はウィルソンLEでした。シングル・アクションでありながら、シングル・アクションでない独特のメカは、流石にタニオ・アクションを生んだMGCならでは。

ここからやっと、本題のウィルソンLEの紹介に入っていきますw
でもこれは発売当時から欲しかったというものではありませんでした。後楽園のイベントでハンマーがピコピコ動いているのを見て、なんだかな~と思っていたものでした。
購入したのは2005年4月。埼玉の友達に遊びに行った時に、川越のケイ・ホビーまで足を伸ばした時に見つけた物。中古で¥1,500という価格ですが、本体にキズは無く、付属品+ゴム製のマガジンバンパー3個も付いています。エアコキの価格以下で、これはお買い得すぎるでしょうということで、即、購入となりました。お店の人によると、少し前にMGCのガスガンを大量に売りに来た人がいたそうで、いっぱいあったそうですが、この時はこれの他にはたしか固定スライドのM92があっただけでした。


メッキはとても綺麗で、細字で入れられた刻印もリアルで、スライドが動かないということを考えず、手にした時の満足度は高いです。
ピコピコ動くハンマーも自分で弄ってみると、何か楽しいですw
そう思えるようになったのも毛嫌いしなくなった今だからこそと思いますが。

着弾はかなり下へずれます。サイト調整の範囲を超えてるので、上目に狙った方が良いくらいです。これは個体差なのか、どうかは知れませんけど、ジャパン・ビアンキ・カップ(JBC)に出てた人は色々弄っていたのでしょうけど、私は殆ど撃ちもしないので気にしません。

Gun誌1992年1月号の広告より
MGCがガスブローバックのグロック17を発売したのは1991年8月下旬。それまでにもガスブローバック方式のエアソフトガンはいくつか販売されていたが、セールス的に初めて成功したのはMGCのグロックではないでしょうか。
3ヶ月後に、グロック17のバリエーションとして、最初にサイドラーカスタムを持ってきたのは、当時JBCに力を入れていたMGCらしい選択でした。
グロックが日本で始めて紹介されたGun誌1984年5月号を読んだ時は、オーストリア軍採用と言っても、プラスチックのフレームを使用しているというのでキワモノ銃としか見ていなかったです。そのスタイルも角材みたいなスライドと、トリガー以外は主張をしていないスライドストップやマガジンキャッチ、テイクダウン・ラッチと色気も何もなかったので、好きにはなれませんでした。
映画の登場も多くなってきて、MGCでガスガンが発売され様々なバリエーションの広告が毎月載って来る様になると、ガスブローバックも面白そうだし、グロックも悪くはないかなと思い始めたりもするのですが、グロックよりもカッコイイと思える銃は他にもいっぱいあるわけですし、MGCグロックを買うお金があれば、他に〇〇のモデルガンが買えるなと思って、結局、手を出すことはありませんでした。

このサイドラー・カスタムも古河の文功堂さんに残っていた物です。
これまた、在庫一斉セールをするということでマルシン・クリント1、マルシンM439と同時に購入しました。やっぱり、何となく気になっていたMGCグロック。一つは手にしておきたいと漠然と思い続けていて、スタイルの好みはG19なのですが、これなら新品で購入出来るというのと、サイドラー・カスタムはいかにもMGCらしく、タナカでモデルガン化されることも無いだろうということで、入手しました。


画像ではわからないですが、スライド側面にはヘアラインが入れられ、やはり丁寧に仕上げれております。

4m位から2マガジン分、撃って見ました。LE程ではないですが、下目に着弾するので、2マガジン目は少し上を狙って撃っています。上手い人ならもっとまとまるでしょう。

カスタムといえばコンペンテイサー。サイドラーのコンペのピンが硬くて抜けずに分解できなかったのですが、トリプルポートの中のバレルはM93R 1stの様な6つ穴が開いています。

これまたカスタムらしいリアサイトはサイドラーはウィチタ。LEはボーマータイプだが、モデルガンと違いウィンテージとエレベーション・ロック・スプリングは省略されています。

大型化されたサイドラーのマガジン・キャッチは使い易いけど、左手で持つとやっぱり、ちょいと邪魔です。
LEのブッシング付のダイヤモンド・チャッカー・グリップも文功堂さんにて購入しました。

東京マルイの銀ダン・エアガンのグロック26と。
ガスも電池も不要で、トリガー引くだけで連射が出来て、安い!値段相応にヘロヘロな弾道と思いきや、ホントまっすぐにBB弾が飛んでいき、MGCのガスガンよりこれまた良く当たり、文句のつけようがありません。若年層向けの商品も意欲的に販売しているマルイさんの姿勢は素晴しいですが、喜んで買っているのは私を含めて大人ばっかりな感じで、トイガン界の未来は明るくはなさそうです。
どうせならグリーンメッキは人気薄のような感じなので、イエロー(ゴールド)メッキだったら大人には受けたのではないかな?ゴールドのPPK(ポリス・ピストルSS)だったら、そっちも買っていたかもw
思いつきですが、シューティングデバイスの様にモデルガンに、銀ダンのシステムを取り付けたら面白い物が出来そうな気がするけど、どうだろう?

取り付ければ、ごっついシュルエットになって、これまたカッコイイ、シングルポートのスタビライザーはNew MGC上野店の閉店セールで購入した物。どんどん値が下がって、最後に¥500になった時に買いましたw

M645 とP7M13も合わせて、手持ちのMGCガスガン集合です。MGCのガスガンはカートリッジの装填出来ないモデルガンということにしてコレクションしてますけど、黒とシルバー各2挺、カスタムとノーマル各2挺でバランスも良いので、よほどの掘り出し物でエなければ、これ以上はいいですかね。
MGCがガスガンを製作していた頃が、一番、仕上げが良かったというのも何ていうのですかね~。それ以降は解散して、綺麗に仕上げた製品を作る余裕がなかったのでしょうが、品質の高いモデルガンを造り続けていたら、少しは違ってきたのかもと思ってしまいます。
ハドソン、新日本模型MGCが無くなる今、モデルガン市場は少しづつ活気が出てきて、新規金型の新製品も発売されてきました。この背景には2006年のエアーソフトガンのパワー規制とか、エアーソフトガンが年々、リアルになっていき、リアルな物を求めるユーザーが増えてモデルガンへ以降していくとか、80年代後半にサバイバルゲームを始めた人達が高年齢化して、ゲームをやらなくなって、部屋で弄るならモデルガンが良いと思うようになったきたのではないかと。
規制のあった2006年にマルイやKSC、マルシンからガバメントが発売されたのであるが、この時に各社ともエアソフトガンの技術的な一定レベルに達した感があります。これ以降、カートリッジ使用の復活、長物のBLK化とさらにリアル路線へと進んでいて、1983年からは、より遊べる方へエアソフトガンへシフトしていき、今はよりリアルな方へシフトしていっていて、その選択肢としてモデルガンが出てきた感じです。今後、かつてのモデルガンのようにエアソフトガンが衰退することもないでしょうが、モデルガンが幾ばくは復権していき、時代が一周した所で、今後の動きが楽しみであります。そこにMGCやハドソンがいないのは残念でありますが、HWS,タナカ、CAWが中心となっていくの頑張って頂きたいものです。
80年代は景気が上昇していた時ですから、メーカーも新たにエアソフトガンを開発いていく余裕があったからこそ、数々の試行錯誤した製品を生み出すことが出来たのでしょうが、現在は景気も悪く、トイガンの技術もある程度までいったので、革新的な物を生み出すことも難しい状態の中、各社がどういったのものを魅せてくれるか期待したいですが、それには子供に銀ダン・エアガンが売れるようになって、電動ガンやガスガン、またモデルガンへステップアップしていくようにならないと駄目なのでしょうね。
最近のコメント